臥龍公園から彰義門まで約2時間の登山コース!2007年から一般に開放された登山路からソウル市内を一望!
こんにちは!ソウルナビです。観光名所として知られる景福宮を中心に、北岳山(プガッサン)、駱山(ナクサン)、仁王山(イナンサン)、南山(ナムサン)にまたがる全長約18.2kmのソウル城郭。2006年、2007年には北岳山の一般の出入り禁止地域が開放され、運動に、散歩にとソウルの新しい名所として人気を集めています。40年間保存されてきた豊かな自然を楽しむもよし、頂上からソウル市内を一望するもよし。ここ数年、散策路や登山ロードが整備され、徒歩の方も寄りやすくなりましたョ。
ソウル城壁って??
まず、ソウル城壁の歴史について紐解いてみましょう。
史跡第10号に指定されているソウル城壁のはじまりは朝鮮王朝時代に遡ります。1392年、朝鮮王朝の太祖が即位して1ヶ月も経たないうちに漢陽(ハニャン)への遷都計画を命じ、1395年に景福宮、宗廟、社稷壇を完成させると、すぐにソウル城郭工事を開始します。
北岳山(プガッサン)342m、駱山(ナクサン)125m、仁王山(イナンサン)338mにまたがる全長約18.2kmのソウル城郭。この膨大な工事を農閑期に終えるために、1396年1、2月の49日間、全国から11万8千人の農民を動員し、城郭の大部分を構築。そして秋の農閑期(8、9月)の49日間、再び79,000人余りの農民を動員、残りの部分(東大門エリア)を築くと同時に4大門、4小門を完成させます。このとき、農民たちは無報酬のうえ、食事も支給されないとあって、なんと食料持参で働かされたとか。
その27年後、世宗はソウル城郭を石城に改築するという大々的な補修・拡張工事を展開、1422年の冬の農閑期に全国から約32万人、2200人の技術者が動員され、完工に至ります。ちなみに、このときのソウルの人口は約10万人。つまり普段の3倍以上の人手が工事のために全国各地から大集合したというワケ。またこのときの死亡者も約870人に達したとか。こうして国をあげての大規模工事の結果、出来上がった城郭は今のソウル城郭の骨格を成しているそう。
ところで、この城郭を構築した目的はもともとお城を守るため。ならば、実際に防御機能を果たしていたかというと、実はあまり役に立たなかったそう。というのも、壬申倭乱(文禄慶長の役)のとき、城郭を越えて敵軍が攻めてきたため、宣祖が義州に播遷したとのことなんです。こうして城郭での戦いを免れたので、逆に戦乱による被害をあまり受けなかったとも。
そして1704年、粛宗が北漢山城まで延長させた城郭が、近代になってからの電車の敷設工事や植民地時代の意図的に崩す前の城郭です。現在、平地の城郭はすべて消え、山地の全長18.2km中10.5mのみ残っています。
今回のコースは?!
一度にソウル城郭を周るのは至難の業。平坦な道ならまだしも、山道ですからね。ということで、今回は三清洞・北村の北部にある臥竜公園からスタートし、彰義門(チャンイムン)までの約4.3km、約2時間コース。
【コース】
臥竜公園-北岳山マルバウィ(馬岩)休憩所-粛靖門(北大門)-青雲台-白岳マル(頂上)-彰義門(北小門)
※ 上記のコースのうち、粛靖門(北大門)から彰義門(北小門)までが身分証の必要なエリア。入口ではパスポート(または外国人登録書)と出入り申請書を作成・申込みが必要となります。また開放時間、下山時間なども決められているので、くわしいことは基本情報を参照してくださいね。
日本語ガイドマップ(鍾路区からご提供いただきました。)
スタート!
まずはマルバウィ案内所(臥龍公園)まで、地下鉄3号線アングッ(安国・Anguk・328)駅から行くことに。2番出口を出て、マウルバス(グリーンの町内バス)02番に乗って、7つ目のソングュングァンテハッキョ(成均館大学)で下車。
(※降りるタイミングが分かりにくいので、「ワリョンコンウォン(臥龍公園)」といえば、運転手さんが教えてくれる、ハズです。)
バスを降りてすぐ、大学の後門を右手に見ながら、進行方向に上って行くとあります。徒歩約10分。
臥竜公園(ワリョンコンウォン)「와룡공원」の文字が出てきたら、さらに曲線を描いてのびている上の道を登っていきます。数年前に行ったサムゲタン専門店「ソンノモチッ」を見ながら、地図を持って出発!それにしても、このお店、すごい場所にあるなぁと思いつつ、森の中を進んでいきます。山なので散策路は四季折々の景色が楽しめるそうですが、この辺は特に、木々がアーチ型に生い茂り、とってもキレイだとか。
少し進むと、高台になったところがあります。ここはソウル市が選定した優秀眺望スポットのよう。ソウルでもお金持ちエリアとして知られる城北区(ソンブック)を一望。邸宅や高級マンションが連なっています。右奥に見えるのが駱山、そんなに高くありませんね。また左奥に見えるのが道峰山、みたいです。
城壁に沿って進んでいきます。ずっとずっと続く城壁を見ていると気づくのが、四角い穴。これは敵の動きを見張る穴。どこも3つずつ並んでいます。真ん中は下の方まで見えるように斜めになっていて、両側の2つは正面が見えるようになっています。実際除いてみると、視野が違いますよ。
そしてこの石壁のイチバン上にかぶさっている石。下からのぞくと、縁から数センチのところに凹んでいる部分があります。これは雨が降ったときにこの凹んだ部分をつたって水が落ちるようになっているんです。これは水分が石にたまると損傷がはげしいからだそう。
マルバウィ案内所に到着!やっと着きました。ナビはここまででも、けっこう運動になった気が・・・。しかし、本格的な登山コースはこれから。ここから身分証明書と出入り申請書の提出が必要な特別警備地区になります。
粛靖門(北大門)(スッチョンムン)城郭に沿って進むと、最初に出てくるのがソウルの4大門の一つ、粛靖門。ここは急ですが、門前面左右にある階段を登ると、上の門楼で一休みできるようになっています。眺めもいいし、とっても涼しいんですよ。
左側の白く大きな石が新しく積み上げた部分。右側は初期のもの。
城壁を見ると、石の色や大きさ、形などがずいぶん違うんです。これはなにかというと、この違いで石を積んだ時代がいつなのか分かるんだそう。まず丸くなった小さめの石が積まれたところは、太祖5年(1396年)ごろのもの。つまり初期の、あの農民達が農閑期に無報酬でがんばった時代のものですね。変色ももっとも激しく、コケも生えています。次に四角く、さっきより少し大きい石が重ねられ、間に小さい石がはめ込まれている部分は世宗4年(1422)年ごろのもの。そして正四角形の大きな石が規則的に積まれた部分は粛宗30年(1704年)ごろのものだそう。
青雲台(チョンウンデ)さらに進むと、見晴らしのいい青雲台(チョンウンデ)に到着。
海抜293mって書いてありますね。
ここでしばし休憩。
途中、石に彫りモノが施してあるのを発見!これは何かというと、実はこの部分を担当した人の名前が刻まれているそうなんです。今まで残っているとはすごいですね。
彰義門(チャンイムン)おおお、着きました。彰義門です。この門はソウルの4大門の間にある、4つの小門のうちの一つ。西北にあり、当時は北漢、楊州方面に向かう交通路だったところ。北門(プンムン)あるいは近くの渓谷の名前にちなんで紫霞門(ジャハムン)ともいわれています。1416年(太祖16年)に風水地理説上、この門を開けると悪い気運が入ってくると一定期間、閉門されたまま通行禁止になっていたところ。1506年にまた開門されました。またこちらは、ソウルの4小門(サソムン)のうちもっとも元の姿を維持している門でもあるそう。
普通、門の天井には龍が書かれていることが多いんですが、こちらは珍しく鳥の絵が描かれ、また門入口の石の部分には、鳥が刻まれているんです。というのも、ムカデのような多足の虫が入ってくるのを防ぐため、虫を退治する鳥があちこちにいるんだとか。見える部分だけでなく、門楼の床の板の裏にも、鳳凰の絵が描かれているそう。
到着地点のこの彰義門の周りはご存知の方も多いはず。付岩洞(プアムドン)といって、韓国のドラマのロケ地としてよく登場する地域でもあるんです。「私の名前はキム・サムスン」、「コーヒープリンス一号店」のほか、最近の作品でいうと、「オ!マイレディ」もこのあたりで撮影したと城郭の警備をしている方が教えてくれました。山の上というイメージですが、オシャレなレストランやカフェも多く、散歩するだけでも楽しいです。最後にこの周辺で食事&カフェで一休みをして帰ってもいいかもしれません。