ユネスコ世界遺産4か所がある百済の古都!日本との関わりもあり、歴史旅行に最適な街!
ソウルから高速バスで南へ約2時間半。韓国の中西部に位置する地方都市、扶余(プヨ)。韓国4大河川の1つ、錦江(クムガン)が北を流れているこの街は、古代日本と交流を持ち、新羅に滅ぼされるまで栄えていた百済の最後の都。日本の教科書にも登場する「白村江(はくすきのえ)の戦い」の場所として名前を知っている方も多いのでは?現在も百済関係の遺跡が多くあり、歴史好きは是非一度は訪れたい町!2015年には「百済歴史地区」が世界遺産として登録され、ますます注目を集める町になりました。それでは、ご案内しましょう。
扶余の基本データ
忠清南道(チョンチョンナムド)の南西部に位置し、百済の最後の都があった扶余(プヨ)。現在は小さい街ですが百済関係の遺跡が多く残り、一部が2015年、ユネスコ世界遺産に登録されました。奈良県明日香村や福岡県大宰府市などと姉妹都市になっています。遺跡以外にも高級リゾートやアウトレットもあり、
歴史探索だけでなくショッピングやレジャーなども楽しめます。
行政体:忠清南道(チュンチョンナムド)扶余郡(プヨグン)
人口:約8万5000人(扶余郡)
面積:634.9平方km(扶余郡)
ソウルからの距離: 約170km
扶余の見所・観光地
主な見所や観光地はすべて百済関係である扶余。世界遺産に登録された4つの遺跡もあります。
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官北里遺跡、扶蘇山城/クァンプクリ、プソサンソン
百済の最後の都として知られる山城跡。538年、王宮を守るために増築された土城といわれ、白馬江(現在の錦江)を見下ろす落花岩(ナッファウム)や、百済の王様も飲んでいたといわれ体に良いとされる薬水が湧き出る皐蘭寺(コランサ)なども敷地内にあります。
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陵山里古墳群/ヌンサンリ
扶余の中心地から少し離れたところにある7つの古墳群。百済後期の泗沘(サビ)時代(538年~660年)に作られた王陵といわれ、保存状態も良く、すぐ横にある陵山里古墳群展示館では百済の古墳や模型、王陵の中の様子など一目でわかるようになっています。また古墳内部の壁画も見ることができます。
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定林寺址/チョンリムサジ
扶余の街の真ん中に位置する寺址。国宝9号に指定され、百済が滅亡するまで栄えていた寺と言われています。建築された当時の五重石塔が敷地内に残り、扶余の空に向かってそびえ立つ姿がとても印象的。また敷地内には高麗時代の遺物と言われ、当時の芸術レベルを垣間見れる石仏像もあります。博物館や展示館も併設され、百済と日本の繋がりなどが日本語で解説されています。
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扶余羅城/プヨラソン
百済の首都であった泗沘を守るための城壁。熊津(ウンジン、現在の公州)から扶余に遷都するため、538年ごろ作られたといわれています。また、現在残されたものほとんどなく、修復作業が行われています。同じ敷地内にある陵山里古墳群展示館では当時の羅城址の様子を模型で見ることができます。
上記の世界遺産の他、韓国で最も古い人工池である宮南池や、当時の百済の様子を知ることができます。
扶余のグルメ
錦江の脇にはクドゥレ飲食店通りがあり、さまざなな料理のお店があります。中でも、蓮の葉のご飯を食べる定食やチャンウォンマックグスは地元の人にも人気。
扶余のショッピング、エンタメ
高級リゾートのロッテリゾートやアウトレットがある百済歴史文化団地、扶余の街を流れる錦江の遊覧船、百済時代の土器を作っている百済窯などがあります。
古代日本と深い繋がりもあり、親近感を覚える歴史の街、扶余。見所も街の中心地にあり、小さい街なのでソウルからの日帰り旅行もできます。世界遺産として登録され、世界的に注目を浴びる扶余!交通面や宿泊場所なども今後整備されていくと思われます。歴史好き、特に古代史が好きな方にオススメの町!また時間に余裕のある方は扶余と同じ百済の歴史を持ち、世界遺産に登録された遺跡もある近くの公州(コンジュ)や益山(イクサン)にも一緒に行くのもいいかも。