中国・蜀漢の名将、関羽将軍を祀っている祠!
こんにちは、ソウルナビです。今日は中国・蜀漢の名将、関羽将軍をお祀りしている祠でポムル(宝物・国宝と重要文化財の間にあたる)第142号に指定されたソウル「東廟」についてチェックしましょう。まずソウルのど真ん中に中国の民間信仰の象徴である関羽廟が昔のままの姿で残っているのにびっくり!何とも興味深い話でしょ(^^)?ソウルに住んでいる人たちですらここがどこで、何をしたところなのかよく知らないというソウル「東廟」。今回はみなさんにだけ特別(?)に紹介することにしましょう。ではナビと一緒にソウル「東廟」に向けて出発!
ソウル「東廟」は日本でもおなじみ、中国の昔の小説「三国志」にも出てくる中国有数の名将、関羽将軍を祀っている祠。正式名称を東関羽廟、また関王廟(日本では関帝廟)といいますが、一般的には「東廟(トンミョ)」と呼ばれています。李朝時代、文禄・慶長の役で朝鮮軍と明軍が豊臣秀吉のの軍の攻撃を退けようとした時に、関羽の神霊が何度も現れたそうです。これを聞いた明の神宗は自らしたためたとされる扁額(文字などを刻んで壁や門の上などに掲げる板)や建築費用を朝鮮に送り、李朝も協力して宣祖(李朝14代王)32年(1599年)年に着工、2年後の1601年に完成しました。現在はポムル142号に指定されています。
さて「東廟」が一体どんなところなのか気になりますよね?ではでは今からナビと一緒に「東廟」の中に入ってみましょう。ソウル「東廟」の正門は大通り側ではなく後ろ側の路地に面しているため、分かりやすく正門左側に「東廟公園(トンミョコンウォン)」とハングルで書かれた石碑がたてられています。また正門の扁額に「東廟」と漢字で書かれているのでここが「東廟」だとすぐ分かります。正門から入って南門、中門を通り過ぎて行くと関羽将軍像が祀られている正殿が見えてきます。そしてその両横に東廡(トンム)と西廡(ソム)がたてられています。これは中国の祠の形式を真似た構造だということですが、現代の韓国に残る貴重な中国風の建築様式でもあります。
特に、関羽将軍像を祀った正殿には中国風の建築様式の例が多数見受けられます。
1.正殿が前面5間・横面6間と前後に長い直四角形をしているという点。
2.横面と後面の壁にレンガが積まれているという点。
3.屋根が独特なT字型をしているという点。
4.扁額が赤地に金色の文字で書かれているという点。
5.天井に並んで彫られている金・銀の鶴の模様が中国の華麗な文様であるという点
などなど・・・。韓国にある他の建物と比べて一風変わった感じがします。
ナビは正殿の中の様子がとっても気になってよ~っく目を見開いてのぞいてみたのですが、照明が無いため暗くてよく見えませんでした(ーー;)。そこでいろんな本を調べてみたところ、正殿の中央には死後の関羽像、右側には生前の関羽像、左側に玉泉導師の像が、左側壁面には桃園の契りを結んだ劉備、関羽、張飛の3義兄弟の像が、中央の関羽像の前には右将軍張飛、王将軍、趙子竜、皇甫将軍黄忠、周倉、関平の木製の像がそれぞれ並んでいるんだそうです。そして木製の像の前には香炉と燭台が置かれており、祠の隅には祭祀(チェサ)の時に使用される祭祀用の台が立てられているんだとか!この正殿は1カ月のうち2日間(陰暦1日と15日)以外は門が閉じられていて、今回は中の様子が撮影できず残念でした。ナビが行った日には中年夫婦が祠で簡単な祭祀をする姿が見受けられました!
以上ソウル「東廟」についてチェックしてみました。李朝時代、成均館(ソンギュングァン・儒教の教育を受け持っていた官庁)が文廟の象徴なら、ここ関羽廟は武廟の代表とされる所でした。だからこそ現在に到るまでその威厳と武の雰囲気が残っているわけなのですが、建設されてから約400年たった現在、「東廟」はおじいさん・おばあさんがあちこちに座ってのんびり将棋をさしたり、飲物を飲みながらお話しをする憩いの場に変貌(?)していました(^^)。そんな姿を関羽将軍がやさしく見守っています。
では関羽将軍像の前でみなさまの旅の幸運をお祈りしてきたソウルナビがお送りしました。