Nソウルタワーの麓、朝鮮の都『漢陽』の城壁を展示する屋外型の展示館。朝鮮神宮の土台も展示されています。
漢陽都城遺跡展示館は朝鮮の都であった漢城を囲む城壁の一部を、発掘調査を通じて出土したそのままの形で展示した、屋外型の展示館です。南山の西の麓に位置し、Nソウルタワーへの続く階段ルートの出発点にもなっています。また、こちらはかつての日本統治時代に朝鮮神宮が建立された場所でもあり、その拝殿の土台も出土し展示館の完成とともに、2020年にコロナ禍のなか静かに公開されました。
漢陽都城とは
漢陽都城は朝鮮王朝(1392-1910)の都である漢陽の境界を示し、防衛する為に築かれた城壁です。1396年太宗の李成桂が約20万人を動員して、漢城を囲む4つの山すなわち、白岳山〜駱山〜南山〜仁王山の陵と平地を繋ぎ、全体の長さは18.6kmに及び、近代化の過程で一部喪失したものの、現在でも約13kmの区間が現存しています。
出土した約189mの城壁
こちらの展示館で、展示するのは2013年から2014年に行われた発掘調査で出土した約189mの城壁。かつて朝鮮神宮や南山噴水広場など、いくつかの開発を通じて喪失したと思われていた区間でした。これまでソウル市内でも多くの城壁跡が出土し、欠損した部分を資料や予測を元に補う形で復元されてきましたが、こちらでは発掘当時の欠損部分を補完しないという、初めての試みで展示されているそうです。
約500年という長い朝鮮王朝の歴史の中で、何度か、補修されているのが確認できる。石垣の下方に見える不規則な区画が14世紀、左側のある程度そろっている石垣が14世紀、右側の隙間が少なく綺麗に並んでいるのが18世紀に積まれたものだそうです。
城壁を補修するときの基礎を支える柱の後も出土されました。この発掘された区画だけで、137の穴が見つかったそうで、展示用の一部を残して、綺麗に埋めなおして保存しているそうです。
積み上げた石の中には、何らかの基点を示す為に、字を刻んでいて、韓国では刻子成石(각자성석)と言われいます。14世紀には築城区間の名称、15世紀には築城を担当した都市、17世紀には工事関係者の名前。こちらで出土したのは、14世紀の区間の名前が出土したとのことでか『奈字六百尺』と刻まれた文字。奈は中国の千字文の60番目の文字を表しています。即ち、14世紀には区画を中国の千字文を使って区分していた背景が伺えます。
南山植物園はかなり古いですが、噴水広場は覚えている方も多いのではないでしょうか。
往年のソウルファンの方は、こちらがどんな場所だったか覚えていらっしゃるでしょうか?
かつては南山植物館と噴水広場があった場所です。植物園は2006年に閉鎖。噴水広場は2013年頃から発掘調査のため閉鎖されていました。
噴水の排水溝も石垣を除く形で延びています。噴水の建造は1968年。当時はまだ文化財を守る意識が少なかったことが想像できます。
朝鮮神宮の拝殿跡
日本による統治を象徴する朝鮮神宮はこちらに建てられました。写真では多くの資料が残っていますが、このように拝殿の土台が公開されるのは初めてです。歴史上の負の遺産は無くしてしまうという風潮も多い中で、朝鮮神宮の土台を保存して残すのは、朝鮮総督府が漢陽都城の城壁を潰してその上に作ったという明白な証拠を残す為との説明がありました。日本人としては複雑ですが謹んでその説明を胸に刻みたいと思いました。
朝鮮神宮の拝殿跡
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当時の朝鮮神宮、左前方にソウル駅が見える。
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防空壕跡
朝鮮総督府の政策の下、1940年代に造られたと推定される防空壕。入り口の階段を降りると、通路の先に33平米の空間が広がっているそうです。安全のため中には入れないとのことです。
漢陽都城遺跡展示館を中心とした場所には、すぐ隣に、安重根義士記念館や白凡広場などの見所もあり、観光しやすいのもポイント。ただ、安重根と言えば抗日の代名詞であったり、白凡は独立運動家で韓国臨時政府の初代大統領である金九の愛国精神を讃えたものだったり、どうしても日本にとっては耳の痛い話がでてきてしまいますが貴重な歴史的資料の残る場所ですので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょう。Nソウルタワーに上るとき多くの方はロープウェイを使ってしまいますが、こちらの展示館によってから階段で登ってみてはいかがでしょうか?ソウルナビでした。