慶煕宮

キョンヒグン경희궁

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朝鮮15代王光海君が建てた王宮。自然に囲まれたソウル市民の憩いの場!

こんにちは!ソウルナビです。今日は西大門(ソデムン)と光化門(クァンファムン)の中間あたりにあるソウル5大王宮の1つ、慶煕宮(キョンヒグン)をご紹介しましょう。こちらはすぐ横にソウル歴史博物館があり、門をくぐると広場もある王宮!ソウルの中にある5大王宮のうち、唯一入場料が無料!日本統治時代に王宮の建物がなくなり、代わりに京城中学校が造られましたが1987年、学校が他の地に移転した後から復元工事が始まり、2002年から一般公開されるようになりました。自然に囲まれているこの王宮は今、ソウルの人々が自由に出入りできる憩いの場にもなっています。それでは、そんな慶煕宮にさっそく行ってみよう!

近くには歴史博物館や大人気公演が勢ぞろいの京郷新聞社ビルもあり!


最寄りの駅は地下鉄5号線ソデムン(西大門)駅。でも先ほども触れたように、実際は西大門と光化門の中間あたりにあり、地下鉄5号線クァンファムン(光化門)駅からも徒歩圏内。お散歩がてら、のんびりと歩いて行ってみるのもイイかも!?ソデムン駅から歩いて行く途中には人気の公演が勢ぞろいする京郷新聞社ビルもあり、すぐ隣りにはソウル歴史博物館も。京郷新聞社ビルで大人気の公演を見たり、歴史博物館でソウルの歴史を見たりした後、古宮まで歩く!限られた時間しかない旅でアレもコレも!といっぱい行きたいところのある人にとってベストな場所かも!?

ソウル市民の憩いの場!


慶熙宮の正門「興化門」から正殿の「崇政殿」まで行く間にはソウル市立慶熙宮美術館やソウル市民の憩いのスペースがあります。夏には木陰のベンチでのんびりと涼む休憩スポットに、そして秋には紅葉がキレイに色づく紅葉のベストスポットに!ソウル市内の5大王宮の中でもまだ復元工事が終わって間もないということや、入場無料ということもあって、古宮というより公園みたいな感じ。ナビが訪れた時も幼稚園児が遠足らしく元気に駆けまわっていましたよ☆

慶煕宮とは

慶煕宮(キョンヒグン)の地にはもともと李朝の創始者である太祖李成桂の家があったとされ、、塞門安大闕または塞闕と呼ばれていました。その後、王族の私邸として利用されてきましたが、光海君の時代、ここに王気(王が生まれる兆し)があり、この気を消すために光海君9年(1617年)に王宮を着工、光海君15年(1623年)に完成。新たな王宮は「慶徳宮(キョンドックン)」と命名されました。しかしその後、光海君は追放され、第21代王英祖36年(1760年)に宮の名前を慶煕宮(キョンヒグン)と改称、 東闕である昌徳宮(チャンドングン)に対して西闕と呼ばれるようになりました。第16代王仁祖から第25代王哲宗に至るまで10代に渡り多くの王がこの慶煕宮にとどまり、特に第21代王英祖は治世の半分をここで過ごしたとか。しかし純祖29年(1829年)、火事で大部分を焼失し、1831年に再建されましが日本統治時代、この地にあった100余りあった王宮の建物はすべてなくなり、その跡地に1908年、京城中学校(現在のソウル高等学校)が置かれました。正門と興化門は当時の博文寺、のちに新羅ホテル正門として移設され、崇政殿は東国(トングッ)大の構内に移設、その他の建物もあちこちに移設され、現在の復元工事が始まる前まで王宮の姿は完全にありませんでした。1987年に学校が他の場所に移転した後の1988年から復元作業が始まり、2002年から現在の姿で一般公開されるようになりました。 

1つ1つ見てみよ~

それではそれぞれの建物を見ていきましょう。 
1.興化門   2.崇政殿  3. 資政殿  4.泰寧殿   5.瑞巌
パンフレットは崇政門を入ってすぐ左側にある案内所(地図の★マークの所)でもらえます。ちなみに・・・他の古宮のパンフレットは冊子なのに、慶熙宮のパンフレットだけはピラピラの紙でした。

1.興化門(フンファムン・흥화문):

ソウル特別市有形文化財第19号。慶煕宮の正門。もともとは現在の救世軍ビルのある場所に、東向きに建てられていましたが日本統治時代の1932年、伊藤博文を奉る博文寺(現在の新羅ホテルの位置)の正門として使用するために移築され、1988年から始まった慶煕宮復元事業によって現在の場所に復元されました。

2.崇政殿(スンジョンジョン・숭정전):

慶煕宮の正殿。李朝第15代光海君10年(1618年)頃に建てられ、国王と臣下の朝会、宮中での宴会、使臣の接待など国家的な公式行事が行われたところ。景宗(第20代王)、正祖(第22代王)、憲宗(第24代王)の3人の王の即位式もここで行われたとか。1926年に曹渓寺が買い取り、法堂に改造、現在の東国大学正覚院となりました。現在の位置にある崇政殿は1985年から行われた発掘調査をもとに約6年の月日をかけて復元されたもの。 

3. 資政殿(チャジョンジョン・자정전):

慶煕宮の便殿で、李朝第15代王光海君9~12年(1617~1620年)の間に建てられ、国王が臣下と会議をしたり、講義を聞くなど日常的な業務が行われた場所。第19代王粛宗が崩御した時は殯殿(もがりどの)として使用され、先代の王たちが御真(肖像画)や位牌を臨時に保管されました。1908年に取り壊されましたが、慶煕宮復元事業によって現在の姿に復元されました。 

4.泰寧殿(テニョンジョン・태령전):

李朝第21代王英祖(ヨンジョ)の肖像画を安置した場所。もともと特別に用途が決まっていない建物でしたが英祖20年(1744年)、英祖の肖像画を安置。ここも取り壊されていましたが復元事業で正面5間、側面2間の現在の姿に復元されました。 

5.瑞巌 (ソアム・서암):

泰寧殿の後ろにまわって見ると岩全体がむき出しになっていて、そのてっぺんあたりにぽかりと穴の開いた部分があります。今はちょっと雨水が少しだけ溜まっていましたが、その昔は巌泉という泉があったことで有名な場所。光海君がここに慶煕宮を建てたのもこの泉のためだと言われてもいるとか。もともとは王巌(ワンオン)といわれていましたが第19代王粛宗34年(1708年)に名を瑞巌に変更、粛宗が自ら「瑞巌」の文字を書き、掘り込みました。ただ現在、「瑞巌」の文字を彫り込んだ四方石はありません。
いかがでしたか?他の古宮と比べるとかなりこじんまりした古宮で、2002年に復元工事が完了し、間もないため、古宮とはちょっと言いがたいほど新しい!?宮殿のある公園といった感じ。でも場所柄、振り返ると古宮の伝統建築の門の後ろにガラス張りの建物や工事中のビルなども見え、改めて現代建築と古宮のコントラストに驚かされます。青空と岩山を背景にそびえ立つ古宮、慶煕宮。大人気韓国ドラマ「 宮~love in palace~」の撮影にも使われた場所だから、古宮ファンのみならず、ドラマファンの方も是非一度行ってみてくださいね!以上、ソウルナビでした。

記事更新日:2013-10-07

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上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

スポット登録日:2000-05-14

スポット更新日:2013-10-07

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