明洞の丘の上に建つ韓国カトリックの教会。韓国で最も歴史が古く、最も大規模な教会として有名。
こんにちは!ソウルナビです。日本と比べると、キリスト教を信仰する人口が多いといわれる韓国。そのキリスト教にもいくつかの宗派がありますが、カトリック信者は全体の10パーセントほどになるそう。今日は、名実共にこの韓国カトリック教(天主教)の象徴であり、そしてソウル大教区主教である明洞聖堂(ミョンドンソンダン)をご紹介しましょう。名前のとおり、この聖堂があるのはソウル中心部の繁華街、明洞(ミョンドン)。こちらは韓国教会の共同体が初めて誕生した場所で、数多くの殉教者の遺体が安置されている所でもあります。それでは、ご案内いたしましょう!
ゴシック様式の大聖堂
史跡第258号に指定されている「明洞聖堂」は、韓国最初の煉瓦聖堂で、韓国カトリック教会の象徴でもあります。外観は、装飾的な要素を排除した純粋なゴシック様式。細く尖った屋根を持つ背の高い時計塔と、レンガ造りの外壁が印象的です。このレンガは、一見すると赤い色と灰色の二色のようですが、実はちょっとずつ色合いの違うものが数種類使われていて、その美しさを強調しているトコロがポイント。また、この大聖堂の平面は(上から見ると)ラテン十字架形になっており、本堂の高さは23m、鐘塔の高さは45mあります。
韓国で最初に立てられた本堂で、1784年、ここに「明礼坊」という宗教集会により信仰共同体が形成されたのをきっかけとして、1892年にフランス人のコステ神父の指揮によって建設が始まり、1898年に完成。その後、韓国カトリック教会の象徴的存在の聖堂として今に至ります。2000年代に入り、少しずつ建物の老朽化による内部の補修が行われ、2006年からは本格的な外装の修繕工事に入りました。工事中は建物が囲いに覆われていたけれど、2008年末に外装工事が完了し、再びゴシック様式の美しい姿を現しました。
◆◇◆ちょっとお勉強・・・韓国カトリック教会と明洞聖堂◆◇◆
韓国一長い歴史を持ち、韓国カトリック教会の誕生とともに造り上げられた明洞聖堂。ここで、聖堂の建立にまつわるお話と、現在の明洞大聖堂ができるまでについて、ちょっと詳しく見てみましょう!
「韓国のカトリック教会誕生と聖堂建立に至るまで」
韓国のカトリック教会は韓国人自らの手によって設立されました。その歴史は李氏朝鮮時代、1784年の春に、イ・スンフンが当時は清であった中国の北京で洗礼を受けて帰国した時から始まりましたが、それより4年前の1780年1月、チョンジンアムでクォン・チョルシンを中心とした講学会が開かれ、ここで当時の著名な学者らがはじめてキリスト教カトリックに接したのでした。
その年の秋、ソウルのミョンレバンに住んでいた通訳官、キム・ボンウが彼らの影響を受けてカトリックに入信し、自宅で教会礼節を行ったり、教理講座を開いたりしました。ここに今日の韓国カトリック教会の生き証人である明洞聖堂の基礎が築かれました。こうして、イ・スンフン、チョン・ヤクジョン三兄弟、クォン・イルシン兄弟らはイ・ビョクを指導者として宗教集会を開き、韓国のカトリック教会が創立されました。しかし、この団体は翌年に当局により解体され、キム・ボンウが慶尚道(キョンサンド)タンジャンへ島流しとなりました。
1882年、韓米修好条約の締結によって、宗教の自由が認められることを予測した第7代教区長であるプルラン主教が、明洞に聖堂用の土地を購入しました。プルラン主教はここにまずチョンヒョン私塾を設立、運営しながら予備神学生を養成する一方で、聖堂建設を推し進め、韓仏修好通商条約(1886年)が締結された翌年の1887年5月、予定敷地を全て購入し、その年の冬から丘陵を削る整地作業を開始しました。この時、信者達はみずから腕まくりをして整地作業に参加したそうです。
「聖堂の起工から完成まで」
このようにして始まった明洞聖堂の整地作業は、風水地理を主張する政府との敷地所有権紛争に巻き込まれ、4年後の1892年5月8日にようやく起工式を行うことが出来ました。その間、招待主任であるプルラン主教が1890年に亡くなり、トゥセ神父が2代目主任として赴任しました。
聖堂設計と工事の指揮監督はフランス人司祭、ウェジニ・コステ神父が受け持ち、1892年に当時の李氏朝鮮王朝の国王、高宗臨席のもと起工式が行われました。ちなみにコステ神父はヤクヒョン聖堂(現チュンリムドン聖堂)とヨンサン神学校の設計、監督も担当したそう。コステ神父が1896年に亡くなると、彼の後をプワネル神父が引き継ぎ聖堂建設をすすめ、1898年5月29日、聖霊降臨大祝日に、朝鮮教区長のムイテル主教の進行で祝聖式とともに、韓国教会の中心である処女受胎マリア聖堂(明洞聖堂)が完成しました。
「殉教者たちの遺骸の安置場所」
起工後12年の歳月を経て完工した明洞聖堂は、純粋なゴシック様式建築としてその文化的価値が高く評価されています。史跡第258号に指定された明洞聖堂には、その地下墓所に己亥の年(1839年)の迫害、丙寅の年(1866年)の迫害で信仰を守り通した殉教者達の遺体が安置されています。
己亥の年、1839年9月12日に殉教したエンベ主教とモバン神父、シャスタン神父は、パリ外邦全教会の宣教師として韓国に初めて入国し、セナムトでさらし首の刑を受けた後、漢江の河原に埋められました。殉教してから約20日後、7、8名の信者らが3人の遺体を引き取り、遺体は現在は西江大学(ソガンテハッッキョ)のあるノゴサンに埋葬されました。その後、遺体は1843年サムソンサンへ移され、1901年に明洞聖堂の地下墓所に安置されました。諡福(諡号が与えられること)を控えた1924年、彼らの遺体のほとんどがローマとパリ外邦全教会などへ送られ、ここには現在その一部だけが安置されています。
彼ら聖人以外にも地下墓所には、丙寅の年、1866年の迫害時に殉教したプルティニコル神父、そして無名の殉教者2名の遺体が安置されています。また、同じく丙寅の年、1866年3月に西小門外の四つ角で殉教した聖ナムジョンサム・ヨハンとフンボンジュ・トマスの遺体はウェコゲに一度埋葬されましたが、チョルトゥサン殉教記念館の聖骸室へ安置される前の1909年、明洞聖堂の地下墓所にしばらくの間保管されていました。
「鐘峴大教会から明洞大聖堂へ」
1892年ヤクヒョン(チュンリムドン)本堂と1927年ペクトン(ヘファドン)本堂を分割し、1945年の開放を迎えて鐘峴(チュンヒョン)大聖堂は明洞聖堂と名称を変えました。そして1970年から80年代の韓国民主化運動の中心地となり、韓国社会の発展と人権拡張のための重要な役割を担いました。
◆◇◆大聖堂の中は、どうなっているの!?◆◇◆
外装は比較的シンプルな聖堂ですが、内部はゴシック建築の特徴でもあるアーチ型の廊下や窓、そして窓にはめられたステンドグラスなどが静粛な雰囲気。三廊式になっており、前方の祭壇には中心に「聖母子像」が、向かって右側に「聖ベネディクト像」、左側に韓国最初の司祭であった「聖金大建アンドレア像」が祀られています。また、祭壇の下は地下聖堂となっており、こちらは聖地ミサと殉教者たちの遺体安置のための場所。キリスト教弾圧のため殉教した聖人5名をはじめとする聖骸が安置されています。聖地ミサの開催日時は、下記「ミサの開催日時」の項をご覧ください。
また、祭壇の中央奥の壁と両側には聖書の内容と「ロザリオの祈り(イエスの誕生)」(中央の15段ステンドグラス)を表したステンドグラスが。このようなステンドグラスは、昔、文字を知らない信者に教理を教えるために使われたそう。現在のステンドグラスは1982年、故・李南奎(イナムギュ)によって復元されたものですが、元はフランスベネディクト会修士によって製作されたものだったとか。
◆◇◆聖堂の周辺にも、見どころあり!◆◇◆
《無染始胎聖母像》
原罪無しに受胎したことをたたえる「無染始胎聖母像」は、カトリック明洞大教会の守護聖人。また同時に、韓国カトリック教会の守護聖人でもあるそう。この聖母像は、1948年、カトリック明洞大教会の祝聖50周年の記念にフランスで製作して奉献されたそう。
*位置: 明洞聖堂大聖殿の裏手
《ルルド聖母洞窟》
盧基南(ノギナム)大主教が韓国の平和のために製作した、「ルルド聖母洞窟」。1960年8月27日に奉献されました。
*位置: カトリック会館の前、駐車場横
《聖金大建アンドレア胸像》
韓国で最初の司祭「聖金大建(キムデコン)アンドレア」の胸像と共に、その生涯の経歴が記されています。本堂祭壇の正面向かって左側にも祀られている人物。
*位置: 明洞聖堂大聖殿の横(東側)
◆◇◆ミサの開催日時◆◇◆
明洞聖堂では、毎日決められた時間に何度かミサを開催。主日である日曜日には、午前、午後それぞれ5回ずつ開かれます。中には英語で行われるミサや、子どもたち、または青少年を対象としたミサも。これらのミサの開催される日程は、以下のとおりになっています。(※2009年3月現在)
●平日ミサ
午前: 6:30
午後: 18:00、19:00
●聖地ミサ
午前: 10:00(※月~土曜日、地下聖堂にて)
●特典ミサ
午後: 18:00、19:00(※土曜日、大聖堂にて)
●主日(日曜日)ミサ
<大聖堂>
午前: 7:00、9:00、10:00、11:00、12:00(教中ミサ)
午後: 16:00、17:00、18:00、19:00(青年ミサ)、21:00
<小聖堂>
午前: 9:00(英語で行われる)、10:30(初等部と自閉症の子どもたちのための主日学校)
午後: 12:30(中高等部)
こちらは、ミサが行われる時以外にも、「告解聖事」として聖堂が開放されています。(時間はTOPページの基本情報をご覧ください。)ナビが行った時にも、何人もの方が静かにお祈りをされていました。賑やかな繁華街、明洞にいるということを忘れてしまうぐらい・・・。また、大きなレンガ造りの聖堂はランドマークにもなるし、歴史あるゴシック建築として鑑賞しに訪れるのもおススメ。以上、韓国カトリック教会の聖地「明洞聖堂」から、ソウルナビがお伝えしました。