狼煙による通信システムについては、我が国でも武田信玄が川中
島の戦いで、紀州太地では鯨組が、ぺりー来航の頃は御番所と城下
間の連絡などに使用されていたと仄聞していて、関心を持って各地
を訪ねたりもしていた。
ナビさんの記事をよすがとして、いつの日にか予定をたてて「南
山のろし台」を尋ねあて見聞を広げたいと思っていました。
さる7月初旬、シティーツアーバスの「都心循環コース」の道々
「南山タワー」から「南山ケーブルカー」の乗り場に急ぐ道筋に、
思いがけず「南山のろし台」を目の当たりにすることが出来まし
た。
100年ほど前までの約500年もの間、主に軍事目的に機能
していたこの「のろし台」は、勿論他の通信網に取って代わられて
いる。2000年の国家の歴史の中で1000回侵略された韓半島
では、平和裏に利用されるはずもない施設ですが、今となっては奇
妙なバランスの下歴史的建造物として再建され、人々が訪れてある
いは腰かけ、あるいは話にうち興じている。
ただ残念なことに、傘マークのいたずら書きが散見されたことで
ある。無意識にも、日本語がないことを念じながら2基まで確かめ
ている自分に気がつきました。
それはさておき、下視すれば、都市の色、古宮の緑、遠くを望め
ば鈍(にび)色の北漢山の連なり、願わくば彼の地の多くが望む和
平の日々が訪れ、市中で頻見する国防色を身にまとった人々が任務
を解かれ、祖国に、市中に戻れますように。
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