韓国の受難の歴史に触れる、西大門刑務所跡の記念館。
こんにちは!ソウルナビです。今日は西大門独立公園にある西大門刑務所歴史館をご紹介しましょう。歴史館の入口にある刑務所の赤レンガの塀と望楼は韓国ドラマや映画でもよく登場するので、見たことがある方も多いのでは?この歴史館のある場所は日本統治時代から約80年間、実際に刑務所があったところ。刑務所がソウル郊外に移転し、使われなくなった刑務所の建物の保存を求める声があがり、一部の施設を保存・復元した歴史館として開館。館内には獄舎や監視塔、拷問室、死刑場などが保存または復元され、資料や遺物が展示され、一年中国内外から多くの観覧客が訪れています。それではさっそく行ってみましょう。
西大門刑務所とは?
大韓帝国の末期である1908年に「京城監獄」として開所し、日本統治時代の1923年に名前が「西大門刑務所」に。独立を求めて闘った多くの独立運動家が投獄、弾圧され、独立を回復した1945年8月15日まで、当時の韓国で最も大きな監獄でした。また独立後も朴正熙大統領の独裁政権時代、民主化を求めて闘った民主化運動家が投獄、弾圧された現場になりました。1987年、刑務所がソウル郊外の京畿道義王(ウィワン)市に移転するまで実際に刑務所として使われ、1992年の8月15日、祖国独立のために戦った独立運動家の歴史を後世に知らせるため、刑務所の跡地を含む周辺一帯が西大門独立公園となり、1998年刑務所跡に西大門刑務所歴史館が開館しました。
<西大門刑務所の名前の変遷>1908年 京城監獄
1912年 西大門監獄
1923年 西大門刑務所
1945年 ソウル刑務所
1961年 ソウル矯導所
1967年 ソウル拘置所
<西大門刑務所歴史館の全体図>
<旧刑務所施設の保存状況>
→保存、歴史館に
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保安課庁舎:拷問および取り調べ(地下1階、地上2階)
→保存
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中央舎:収監者の監視(地上2階)
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第9・10・11・12獄舎:男性受刑者を収容(地上2階)
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工作舎 (第13獄舎) 強制労働(地上2階)
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死刑場 死刑の執行(地上平屋)
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ハンセン病舎:ハンセン病患者の隔離収容(地上平屋)
→一部保存
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塀、望楼:警戒施設(1階)
→復元
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隔壁場:収監者の運動の場
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女獄舎:女子受刑者を収容(地上平屋)
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炊事場 →撤去
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第1~6獄舎:未決囚を収容(地上2階)
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第7・8獄舎 ・
女工場・
工場 ・
病舎
さっそく、見学へ。
チケット売場は入口を入ってすぐ左手にあります。観覧時間の目安は1時間から1時間半。建物ごとの内外部に観覧順序の矢印が表示された看板があり、それに沿って進みます。
最初の建物は旧保安課庁舎。西大門刑務所歴史館のメイン展示室ともいえる建物で、この周りに第10.11.12獄舎、中央舎、工作舎、 ハンセン病舎などの建物があり、遺物や資料の展示のほか企画展示なども観覧できます。外国語のデジタルガイドなどはありませんが、展示のところどころに日本語、英語、中国語の解説がついています。また日本語のガイドをお願いすることもできます(要予約)。
刑務所歴史室(1階)
「自由と平和への80年」と題し、西大門刑務所が実際に使われていた80年の歴史を資料、映像、展示で紹介、西大門刑務所の歴史的な変遷と、独立運動の拡散状況、当時の全国の刑務所の現状が展示されています。ちなみに京城監獄として開所した1908年と比べ、1930年代に刑務所は30倍の規模に拡大しています。
民族抵抗室(2階)
独立運動家が拷問と抑圧を耐えぬいた歴史の現場を振り返るため設けられた部屋。 日本の支配に「抵抗」した歴史が時代別、事件別に展示されています。 部屋は3つに分かれ、民族抵抗室1では日本の侵略に反抗した義兵戦争や義烈闘争など1910年代までの独立運動に関する展示し、民族抵抗室2は女性の独立運動家として3・1独立運動で知られる柳寛順(ユ・グァンスン)の肖像画が展示され、日本統治時代に西大門刑務所に収監された独立運動家約5000人の記録・写真が壁全面に貼られています。また民族抵抗室3では6.10万歳運動など1920年代から1940年代の独立運動の内容が、そして最後に死刑場の死体収拾室の模型展示があります。
地下拷問室(地下1階)
臨時監禁室では独立運動家に対して日本が行った残虐な拷問の様子を再現。また拷問室では日本の刑事が独立運動家に尋問の過程で行った拷問の様子が再現されているほか、体験者の証言映像や拷問に使われた道具などが展示されています。、また実際に「拷問」を体験できます。