雲峴宮 / ウニョングン

ウンヒョングン운현궁

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高宗の父である興宣大院君の私邸。高宗が生まれてから即位する12歳までを過ごした場所!

こんにちは、ソウルナビです。今日は李朝第26代の王、高宗(コジョン・1852-1919、在位期間1863-1907)の父、興宣大院君(フンソンテウォングン・1820-1898)の私邸で、高宗が生まれて王位に就く12歳までを過ごした場所。雲峴宮(ウニョングン)をご紹介しましょう。伝統文化の街、仁寺洞(インサドン)から徒歩約3分の距離にある雲峴宮は史跡第257号に指定され、2148坪の敷地内に建物が6棟(本体5棟、廊下1棟)が建ち並んでいます。昔に比べて規模はかなり縮小されてしまいましたが、興宣大院君の政治活動の本拠地であり、韓国近代史において欠くことのできない歴史的な遺跡の一つ。さっそく雲峴宮についてチェックしてみましょう。

王宮の歴史・・・

興宣大院君

興宣大院君

1863年12月9日、個人の私邸から王宮に昇格!!
1863年(哲宗14年)12月、李朝第25代王の哲宗(チョルチョン・1831-1863、在位期間1849-1863)が直系の世継ぎを残さずに崩御すると、哲宗の母である趙大妃の推薦により、王孫の一人であった高宗が弱冠12歳で王位に即位することになりました。これには父である興宣君の必死のロビー活動があったと言われています。しかし高宗がまだ幼かったため、礼にならって趙大妃による垂簾聴政(幼い王が成人になるまで、王大妃(先王の妻)や大王大妃(王の祖母)が国政を代理で処理すること)が行われ、また大政に協力するという名分で政権は高宗の父、興宣君(フンソングン、君は王の庶子をはじめ王に近い親戚や功績のあった臣下に与えられた尊称)の手に渡ります。1863年12月9日、興宣君(フンソンクン)を興宣大院君(フンソンテウォングン、大院君とは王位を継承する直系の孫や兄弟がなく親族が王位が継承したとき新王の実父を指す尊称)に、夫人の閔(ミン)氏を府大夫人(プデプイン、大院君の妻)という爵号を与える教旨(辞令)が下り、興宣君の私邸であったこちらは雲峴宮と呼ばれるようになりました。雲峴宮という名の由来は当時、雲峴宮の北側に大きな峠があり、その峠の上にはいつも雲が、また峠のふもとの方にも霧がよく出ていたことから呼ばれるようになったと言われています。以後、約10年にわたる執政時代(1863-1873)が始まりました。

高宗の即位後、王宮と肩を並べるほどの雄壮な規模に!
1863年12月に即位した高宗は翌年の9月、雲峴宮に老安堂(ノアンタン)と老楽堂(ノラッタン)を、1870年には二老堂(イロダン)を創建。当時の雲峴宮の雄壮さは王宮と肩を並べるほどとなり、雲峴宮を取り囲む塀の長さが数里にもなったとか。現在は雲峴宮の周辺にある日本文化院や徳成女子大学、校洞小学校一帯はすべて以前の雲峴宮の敷地だそう。また当時の雲峴宮には大門が4つ設けられ、4大門の中には王宮であった昌徳宮と高宗が頻繁に行き来できるように作られた敬勤門(キョングンムン)や、興宣大院君が気安く宮殿に入れるようにと作られた恭勤門(コングンムン)などがありました。また雲峴宮の中には我在堂(アジェダン)、舎廊房(サランバン・書斎)のある老安堂(ノアンダン)、母屋である二老堂(イロダン)や老楽堂(ノラッタン)、迎和楼(ヨンファル)、さらに大院君の先祖である恩信君(ウンシングン)や南延君(ナミョングン)を祀った祠もあったそう。

1996年10月26日から市民に公開!
歴史には興亡盛衰がつきもの。あれほどまでに雄壮だった雲峴宮も興宣大院君が政治の表舞台から退いてからはその威容を失い、日本統治時代やその後の朝鮮戦争を経て没落、損壊していきました。幸いにも舎廊房のある老安堂、母屋である二老堂と老楽堂などは保存状態が良かったため、ソウル市は1993年から1996年10月まで4年をかけて補修、また家具などの遺物や当時の生活の様子がうかがえる生活用品などを復元・展示し、1996年10月26日から一般市民に公開しました。補修工事の際に老安堂の上文(棟上文)が発見され、雲峴宮の変遷内容を理解する上で大いに役に立ったとの話も。

◆雲峴宮の中を見てみよう!◆

それでは、ここから本格的に雲峴宮の隅々についてご説明いたします。ツアーガイドのソウルナビにしっかりついてきてくださいね!
1. 雲峴宮正門(ウニョングンチョンムン)

雲峴宮の正門の右側には雲峴宮についての説明、行事などをお知らせする案内があります。雲峴宮の正門をくぐってすぐのインフォメーションセンターで日本語のガイドをお願いすれば、ボランティアの方が雲峴宮を案内をしてもらえるそうです(^-^)。 入場無料。

2. 守直舎(スジッサ)

雲峴宮正門の右側に位置し、雲峴宮の警備と管理を担当していた人々が詰めていたところ。当時の雲峴宮は今より広かっただけでなく、高宗が王位に就き、興宣大王君が強大な権力を握った重要な場所で、王宮から派遣された警官や宮殿を管理する人々が大勢いたそう。

3. 老安堂(ノアンタン)

ソスル大門をくぐると「老安堂」と書かれた扁額(文字や絵などを刻んで壁や紋の上に掲げる板)のかけられた建物があります。こちらは正面6間、側面3間の舎廊房で、興宣大院君が息を引き取ったのも、まさにこの老安堂の大きな部屋の後ろ側にある続き部屋だったそう。「老安堂」と書かれた扁額は「老人を安らかにする」と言う意味で、息子が王になったおかげでよい家で安楽に老年を過ごせ、自ら十分だという意味。興宣大院君が美術家の秋史・金正喜(チュサ・キムジョンヒ)の筆跡を組み合わせ、作らせたものだそう。
この老安堂を建てるのに使用した木材はすべて白頭山(ペットゥサン;現在の北朝鮮に位置する高さ2,750mの山、朝鮮半島の最高峰)で鴨緑江(アムノッカン)のほとりにあった木を使用したとのこと。老安堂は典型的な韓国式の瓦葺で、軒先に角材を長く伸ばして日よけをかけた手法は今日ここにしか残っていない特徴です。また前面には自然換気の機能をもつ換気口が設けられています。また老安堂の庭に敷かれた土は磨砂土(マサト)と呼ばれるもので、陽光を反射させて反射光を室内に取り入れ、快適な室内空間を作る役目を果たしていたと言われています。

4. 老安堂西行閣(ノアンタン・ソヘンガッ)

当時こちらで暮らしていた人たちの様子が人形で再現されています。

5. 老楽堂(ノラッタン)

正面10間、側面3間と、老安堂の正面6間、側面3間よりもかなり大きく雄壮な建物。縁側の左右に部屋が9室もあるなど、雲峴宮で最も大きく中心となる建物。老楽堂の壁から出てきた絵と文字は現在相当な価値をもつ遺物と認められています。老楽堂は家族の還暦やお祭りなどの王家の行事が行われた場所で、1866年の高宗と明成皇后との婚礼や明成皇后のお妃教育もこちらで行われたと言われています。

6. 老楽堂南行閣(ノラッタン・ナメンガッ)

当時こちらで暮していた人々の生活の様子をかいまみることができます。

7. 老楽堂北行閣(ノラッタン・プッケンガッ)

こちらの出入口は下人たちが出入りしていた門。当時の両班と下人たちの間の厳格な身分差別の様子がうかがえます。

8. 二老堂(イロダン)

正面7間、側面7間。外部の男性が簡単に入ってこられないように「口の字」形に建てられ、真ん中に中庭があります。老楽堂とともに母屋として使われ、女性のみが暮らす徹底した男子禁制の空間。また二老堂の女主人は実質上、雲峴宮全体の最高責任者とされていました。庭の一隅には古くなった石造物が置かれていますが、これは石蓮池と呼ばれるもので、たいてい直六面体の石を彫り、池が掘ることができない庭に作られたもの。二老堂の前の石蓮池は建物自体が1段高く作られているため、建物から中が見られるように既存のものよりさらに高く作られており、有事の際には防火水としても使用されたとか。建物の基壇が高いのは、王の父が住んでいるところなので、王がいる昌徳宮(チャンドックン)の2段よりも1段高い3段にしたためだそう。

9. 二老堂東行閣(イロダン・トンヘンガッ)

南側に続く廊下を通ると老楽堂の北行閣を経て、老楽堂へとつながっています。

10. 遺物展示館(ユムルチョンシグァン)

雲峴宮と興宣大院君の関連した遺物を展示されています。18室に分けられたそれぞれの展示スペースには各種遺物の展示はもちろん、模型、映像、パネルなどの展示を活用し、復元された雲峴宮の姿や沿革、それに大院君家の年譜、遺品などを通じ、雲峴宮と大院君について理解が深められるように構成されています。

11. 化粧室(ファジャンシル)/12. 企画展示室(キフェクジョンシシル)
化粧室

化粧室

企画展示室

企画展示室

いかがでしたか?李朝末期の典型的な建築様式をもっている雲峴宮は。李朝末期に最高権力者が集まり、波乱万丈の韓国近現代史の1ページを飾った歴史的にも重要な場所。現在は静かな規模の小さな史跡となって残っていますが、遺物展示館をはじめ、高宗・明成皇后の婚礼再現行事や国楽公演などの文化行事も行われています。雲峴宮のそれぞれの建物の中には他の古宮では見られない当時の生活用品や衣服などが展示されています。仁寺洞からは徒歩約3分、地下鉄3号線アングク(安国)駅からも徒歩約1分の距離にあるので、近くに来られる際には是非足を運んでみてくださいね。以上、雲峴宮からソウルナビがお伝えしました。
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記事更新日:2015-08-04

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    さかな♪

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スポット登録日:2000-05-14

スポット更新日:2015-08-04

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