KFCの済州島旅行記 本島編

済州島で発見 オバケの棲む坂道

登場人物紹介
名前 : 八田氏@K・F・C
年齢 : 26
国籍 : 日本
性別 : 男性
職業 : コリアン・フード・コラムニスト
担当 : カメラマン&旅日記係
口癖 : 写真撮るから動かないで!
別名 : 居酒屋で韓国語を学んだ男

名前 : トナリさん
年齢 : 30歳
国籍 : 韓国
性別 : 男性
職業 : 大学院生
担当 : 運転手&一気飲み振興係
口癖 : 飲まなきゃでしょう。
別名 : 5次会の帝王

名前 : スミレさん
年齢 : 28歳
国籍 : 韓国
性別 : 女性
職業 : ウェブデザイナー
担当 : 交渉係&食料確保主任
口癖 : 眠い……。
別名 : 飲み会のしんがり

名前 : 石田さん
年齢 : 28歳
国籍 : 日本
性別 : 男性
職業 : 大学院生
担当 : 会計係&済州島ガイド
口癖 : お腹減ってない?
別名 : 酒ビンを枕にする大学院生


2日目

目が覚めると11時前だった。起床予定時刻の8時をはるかに過ぎている。誰も起きない。誰も起きられない。恐るべきチームワークである。部屋の外をうかがってみると、隣の部屋に宿泊していた8人組みのグループはすでにいなかった。ジリジリ暑い、牛島の昼が始まろうとしている。
「ええっ、もう11時なの。今日は城山浦(ソンサンポ)で潜水艦に乗ろうと思っていたのに、これじゃ計画が台無しじゃないか。」
 石田さんが頭を抱える。
「うむ。今日もいい調子だ。」
 と言いながら同じく頭を抱えるトナリさんは、ただの二日酔いだろう。43度の泡盛をグイグイ一気飲みしたツケはきちんと回ってきている。見ればスミレさんはまだしぶとく眠っている。全員が全員。今日もきちんとマイペースに絶好調だ。
「寝坊してしまったものは仕方がない。お腹が減ったからとりあえず朝食にしよう。」
という声が石田さんからあがる。それと同時にどこで買っておいたのか、みんなのリュックから次々と辛ラーメンが出てきた。辛ラーメン? いつも思うことだが、韓国人の旅行には必ずこの辛ラーメンがついてまわる。朝食に、昼食に、あるいは夜食に。場合によってはつまみがわりになったりもする。南国の島に来てまで辛ラーメン。さすがは年間1人あたりのインスタントラーメン消費量、世界ナンバー1の国である。
 離れのようにして庭に準備された民泊のキッチンで、辛ラーメンとヘッサルパプ(真空パックされたあたためるだけのごはん)を作る。白ごはんと辛ラーメンの朝食。これこそ韓国の朝ごはんだ。よろず交渉係のスミレさんが、部屋の中にトコトコっと入って行ったかと思うと、透明なタッパーをひとつ持って帰ってきた。
「やっぱりキムチがなきゃでしょう。民泊のおじさんに言ってもらってき

たよ。」
「おお、さすが!」
 中には白菜のキムチとネギのキムチが入っていた。
「む。このネギのキムチうまい。」
 2日酔い気味のトナリさんが静かにつぶやいた。
結局予定を3時間もオーバーし、出発は12時を過ぎたころになった。多少遅れるのはあたりまえという韓国的な常識をコリアンタイムという。予定通りにいかないのが、予定通り。そこがコリアンタイムだ。僕らは牛島港から連絡船に乗って城山浦(ソンサンポ)まで戻り、すぐさまタクシーで済州市内に向かう。本来ならばこの城山浦でしばらく遊ぶ予定であったが、時間を朝の駄眠に使ってしまったので、すでにその余裕はない。
連絡船を降りたあたりに集まっていたタクシー運転手が声をかけてきた。
「どこまで行くんだい?」
「済州市内までなんですけど?」
「済州市内までなら2万5000ウォンだね。」
「うーん。2万ウォンでどうですか?」
 相場を見定めきれなかったスミレさんは2万ウォンから始め、2万3000ウォンのラインでずいぶんがんばったが運転手の方が頑として譲らなかった。ここはタクシーの絶対数が少ない城山浦。運転手が最初に提示してきた2万5000ウォンは相場だったのだろう。僕らはトランクに荷物を詰め、座席に乗り込んだ。
 出発予定時刻を3時間近くオーバーするほど爆睡した僕らだったが、その睡眠はいまだ不充分であった。助手席に座ったトナリさん、後部座席左のスミレさん、右の僕はタクシーが走り始めた瞬間から睡眠モードへと素早く転換し、やがて熟睡モードに入った。唯一後部中央に座った石田さんだけが眠りにつけなかったようだが、それにはある特殊な理由があった。このときのタクシー内の出来事を石田さんは次のように語っている。

――その時、運転手のおいちゃんに道路交通法という言葉はなかった。鼻歌交じりのパッシングを繰り返しながら、時速100km超でかっとばしてゆく。少しでも遅い車がいれば、前から対向車が近づいていても追い越してゆき、直進してくる車をパッシングで止め強引に曲がっていく。スピード違反、走行車線違反、信号無視。なんでもありだ。僕は心の中で叫ぶ。おいちゃーん、もっとゆっくり行こうよおお。まだ死にたくないよお……。ふと見ると僕以外はみんな寝ている。そうだよな。疲れてるからな。昨日の酒も残ってるしな。僕も疲れてはいるんだけど……。これじゃあ、寝られないよな。とほほ。おいちゃーん、助けてくれよお。おいちゃーん。――――(石田さんの済州島日記より)
 フロントガラスが目に入る位置に座っていたのが運のツキ。僕ら3人は空港近くまでぐっすりと眠ることが出来たが、結局石田さんは1人恐々としていた。

済州市内に戻り、僕らはレンタカーを借りることにした。島といえども済州島は広い。車なしには観光が難しいのである。ちなみに僕らの借りたレンタカーは、3日間で19万3900ウォン。加えて保険料が2万7000ウォン。都合22万900ウォンであった。
機動力を手に入れた僕らはさっそく済州島観光に出発。
「どこに行く?」
「どこへでも。」
 という基本的に投げやりな会話を運転手であるトナリさんと交わし、済州島市内を右往左往しかけた末、僕らが最初に向かったのはトッケビ道路だった。
トッケビ道路とは正式名を神秘の道路といい、新済州から中文(チュンムン)方面に向かう1100道路の途中にある。トッケビとは韓国語でオバケのこと。この場所は一見上り坂のように見えるにも関わらず実は下り坂という、天然の視覚マジックを体験できる場所なのだ。エンジンを止めた車がするすると坂を登っていき、地面にこぼれた液体は引力にさからって上流へと這いあがっていく。
この不思議な道路は1980年に新婚夫婦を乗せたタクシー運転手によって偶然に発見され、それが次第に広まって済州島有数の観光地として発展した。僕らがトッケビ道路を訪れたときも、200mほどの区間に観光バスが何台も止まり、またタクシーやレンタカーが行列を作っていた。韓国人のみならず、外国人も多数訪れており、見まわすと観光客を当て込んだ土産物屋、露店のたぐいが道路の片側を占めていた。そこでは観光客誘致のために無料で自転車の貸し出しなども行っているのだ。
「200mくらい行くとスタート地点があるんだよ。そこまで行って自転車で下ろう。」
石田さんは昨年もこのトッケビ道路を訪れている。不思議なことにこの面子では日本人の石田さんがもっとも済州島に詳しい。すっと消えたかと思うと、どこかの店で自転車を2台調達して戻ってきた。
「最初に少しこいでスピードをつけて、あとは何もせずに流れにまかせるといいよ。」
「わかりましたあ!」
 石田さんのアドバイスを受け、ペダルに力を入れる。2~3回こいだところで、もう抵抗がなくなり、自然の速度で進んでいけるようになった。
「おろ?おろおろ?」
なんだなんだと思っているうちに自転車はどんどん加速していく。普通に下り坂を下りていくようなスピード感覚だ。が、しかし回りの景色はほとんど平ら。というよりもスタート地点から進んでいくに従って、段々上り坂がはっきり見えてきた。
「うわあ、本当に上り坂を下ってるよお。」
驚きの声が出る。これは面白い。楽しい。不思議だ。
 もっと不思議だったのは「ああ、楽しかった」とゴールまで行って戻ってくるときだった。当然のことではあるが、上り坂のような下り坂を反対側から来ると、下り坂のような上り坂になる。見た目は軽やかに進めそうなのに、どうしたことかペダルが重い。まるでトッケビでもとりついたかのように身体が重いのだ。
「なるほど。これはトッケビ道路だ。」
 僕はトッケビ道路における命名の由来を学んだ気がした。 

下り坂。エンジンを切った車が坂を下っていく。

下り坂。エンジンを切った車が坂を下っていく。

上り坂。自転車のペダルが重い。

上り坂。自転車のペダルが重い。

その後1100高地を越えて中文のほうに南下。済州島の南部地方を一望できる見晴らしポイントを越え、天帝淵瀑布(チョンジェヨンポッポ)へと向かった。済州島には有名な滝が3つあり、正房瀑布、天地淵瀑布、天帝淵瀑布を総称して済州島3大瀑布という。23mの高さから直接海に流れ落ちる正房瀑布、深さ20mにもなる碧色の淵に注ぐ天地淵瀑布、そして7人の聖女が降り立ったとされる天帝淵瀑布。いずれ劣らぬ名瀑布である。
 僕らが訪れた天帝淵瀑布には3つの滝があり、第1の滝、第2の滝、第3の滝とそれぞれに見ごたえがあるが、それに増して美しいのが渓谷をまたぐ仙臨橋(ソニンギョ)という橋であった。3つの滝がさしたる間隔をおかずにそれぞれ急降下していくため、渓谷はけっこうな深みを帯びることになる。両端を行き来するためにかけられたアーチ型の橋は、はるか下を見下ろす迫力のある橋になるのであった。
「わ、わ、わ、わ。こ、これはダメ。ダメダメダメ。」
 頂上が見えないほどの急勾配を描いた橋のたもとで、突然石田さんが震え出した。
「僕、高所恐怖症なんだよ。こんな橋はとても渡れないって。」
「大丈夫だよ。橋なんだから。行こうよ。」
 スミレさんがよくわからない激励の声をかけるも、まるで耳に入っていない。
「ダ、ダ、ダ、ダメダメ。想像しただけでもうダメ。僕ひとりで待ってるから、みんなは行っておいでよ。ダメダメ。絶対ダメ。」
 どうやらかなりの高所恐怖症であるようだ。僕らはしばらく「行こうよ」「ダメダメ」「行こうよ」「ダメダメ」という会話を繰り返したが、結局説得をあきらめ、石田さんを残したまま7人の聖女が降り立ったとされる仙臨橋を渡った。橋の頂点からの眺めはさすがに美しく、遠くに流れ落ちる大きな滝の全景が見えた。
「そういえば行きの飛行機の中でも顔がこわばってたなあ。空港に着いてからどうも言葉がないから、俺なんか悪いことしたかなあって考えちゃったよ。」
 とトナリさんが振り返った。なるほど。橋でダメなのだから、飛行機はそれこそ恐怖だったに違いない。
僕らが仙臨橋を渡り、向こう側にあった展望台などを楽しく見てまわっている間、石田さんはぽつんと1人滝を見ていたそうだ。聞くだけでも寂しい話だが、さらに石田さんの言葉を借りると「ここは済州島。そして美しい滝。これはもうカップルしかいないんだよ!」ということになる。石田さんは滝の前でカップルに囲まれながら、みんな橋のむこうで楽しんでいるんだろうなあ……。とさらに鬱々とした気分で滝を見ていたそうだ。
このとき石田さんが不幸だったのは、何気なくベンチがわりに座っていたひとつの岩が、川向こうの別のポイントに歩いて行ける通路のド真ん中に位置していたことである。石田さんにしてみれば悪気は一切なかったのだが、他のカップルから見ると「あいつ何ひとりで道塞いでんの?」ということになる。程なくして石田さんもその事実に気付くのだが、そのときのショックは甚大なものだったという。
「はっ!おれ通行の邪魔になってる。カップルの邪魔になってる。みんな遠めにこっちを見てる。うわっ、これじゃ嫌がらせをしているみたいじゃないか。僻んでカップルの邪魔をしてるただの嫌なヤツになってしまう。うわああ、しまったあ。ひいいい。」
 石田さんはいたたまれずにその場を逃げ出してきた。その途中で、ちょうど仙臨橋の向こうから戻ってきた僕らと途中で出会うのだが、僕はそのとき石田さんが見せた安堵の表情が忘れられない。
 この後僕らは夕食を食べに行った。済州島名物の黒豚を食べにいったのだが、食べ終わって店を出るとき石田さんが僕に言った。
「なんか食事中雰囲気が暗かったよね。」
 あんただけや。
僕は心の中でつぶやいた。

まだまだ続く

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関連タグ:八田靖史

上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。

記事登録日:2002-11-08

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