脂とろける黒豚焼肉、とれたて新鮮ヤリイカ刺身!
登場人物紹介
名前 : 八田氏@K・F・C
年齢 : 26
国籍 : 日本
性別 : 男性
職業 : コリアン・フード・コラムニスト
担当 : カメラマン&旅日記係
口癖 : 写真撮るから動かないで!
別名 : 居酒屋で韓国語を学んだ男
名前 : トナリさん
年齢 : 30歳
国籍 : 韓国
性別 : 男性
職業 : 大学院生
担当 : 運転手&一気飲み振興係
口癖 : 飲まなきゃでしょう。
別名 : 5次会の帝王
名前 : スミレさん
年齢 : 28歳
国籍 : 韓国
性別 : 女性
職業 : ウェブデザイナー
担当 : 交渉係&食料確保主任
口癖 : 眠い……。
別名 : 飲み会のしんがり
名前 : 石田さん
年齢 : 28歳
国籍 : 日本
性別 : 男性
職業 : 大学院生
担当 : 会計係&済州島ガイド
口癖 : お腹減ってない?
別名 : 酒ビンを枕にする大学院生
2日目夜
夕食の話をもう少し書いておこう。このとき僕らが食べたのは黒豚の焼肉。済州島の黒豚といえば、韓国全土にその名前が轟くほど有名なのだ。韓国語では黒豚のことをトンテジ(またはフッテジ)といい、トンは韓国語でウンコのこと。テジは豚なので、すなわちウンコ豚。このネーミングはかつて済州島では外にトイレがあり、そこで豚を飼っていたという習慣に由来する。人間が石垣を組んで作ったトイレで用を足すと、その下で生活する豚がわっせわっせと食べてしまう。このように育てられたトンテジは非常に味がよく、済州島の人々にとってのご馳走であったという。さすがに現代ではそのように育てられたトンテジはいないが、味がよいのは現在も同じ。済州島に行ったら黒豚を食え。これは鉄則である。
「む。このトンテジ、皮に毛が残っている。」
と鋭く指摘したのはトナリさんだ。見ると確かに皮の部分が黒くポツポツになっている。残っているというほど残ってはいないが、夕方すぎのアゴヒゲくらいはある。
「黒豚であることを証明するために皮付きで出すんですよ。」
「なるほど。これはうまそうだ。」
鉄板の上でジュージューと焼けていくぶ厚い黒豚。ステーキといっても差し支えないくらいのボリュームだ。入念に両面を焼き、適当なところではさみを使ってジョキジョキ一口大にしていく。じっくりと火が通ったら、サンチュに乗せて、ゴマ油を混ぜ込んだ味噌を乗せる。さらに生ニンニクのスライスとネギの和え物を加え、ぐるっと巻いたら大口を開けてガブリ。豚肉の油がじゅわっと染み出たら、もうこれがうまくてうまくて。済州島の黒豚、万歳という気分になる。
「うまいねえ。」
「うん、うまいねえ。」
とあいづちを返したトナリさんを見ると、黒豚ではなく付け合せで出てきたネギの和え物を熱心につついている。
「トナリさん黒豚食べないの?」
「おれ、ネギ好きなんだよね。」
とにやっと笑った。そういえばこの人、朝もネギのキムチを嬉しそうに食べていたなあ。僕らは黒豚をお腹がパンパンになるまで食べ、満ち足りた気持ちで済州市内に戻った。スミレさんは当然のごとく後部座席で爆睡だった。
友人の紹介を受けて訪ねた済州市内の旅館は、港近くのタプトン(塔洞)という場所にあった。旅館のおばちゃんと電話で何度も道の確認をし、やっとたどりついたのはすでに夜も10時を回ったころだった。繁華街から少し離れたこの場所にはもう人気がない。おばちゃんに指定された場所で車を止めて待っていると、それらしき人物があたふたと路地から出てきた。それを見てトナリさんと僕が車を降りる。
「あんたたちが電話をくれた人かね?」
「あ、そうです。」
「すぐ目の前だから。ほらここ。駐車場はあっちにあるから車を置いてきなさい。」
おばちゃんが指差した旅館はいかにもさえない場末のラブホテル風だった。路地を入って袋小路というのもよくなかったし、あたりの雰囲気も暗かった。
「どんな感じだった?」
車に戻るとスミレさんが尋ねた。
「うーん……。どうっていうか、ほらあれだよ。」
「あれなの? すごくいい旅館だっていうから信じてきたのに、なによこれ。」
周囲に灯りが少ないせいか、レンガ造りの旅館はいっそうさびれて見えた。車を駐車場に止め、荷物を降ろしかけたところで旅館のおばちゃんがまたせわしげに出てきた。
「申し訳ないんだけどね。一番大きい部屋を間違えて他の人に貸しちゃったんだよ。知り合いが行くからって電話を受けていたからさ、きちんととっておいたつもりだったんだけど、隣の部屋のカギと間違えて渡しちゃってね。」
おばちゃんはカギを2つ両手に持ちながら、なにやら熱心に失敗を訴えかけている。
聞いてみると話はこういうことだった。この旅館に4人で入れるくらいの大きな部屋はひとつしかない。そのひとつを用意して待っていたつもりだったが、今確認してみたらその部屋がなんと埋っていた。どうやらつい先ほどやって来たカップルにカギを渡し間違えて、団体用の大きな部屋に入られてしまったらしい。いまさら他の部屋に移れとも言えないので、申し訳ないが小さい部屋を2つ使ってくれないか。ついては1部屋3万ウォンのところを2部屋4万ウォンに値下げをする。とのことだ。
それを聞いてよろず交渉係のスミレさんが口をはさんだ。
「2部屋って、このメンバーで2組に別れるのは難しくないですか?」
それを聞いてますます慌てたおばちゃんは、さらにあれやこれや言い訳を並べたてたが、スミレさんは腕組みをしたまま動かず、斜め45度の角度でキッとみつめている。これはなかなかの迫力だ。「僕とスミレさんで1部屋ってのはどうですか?」と冗談を飛ばそうか迷ったがやめた。すでにそういう雰囲気ではなかった。
おばちゃんはとりあえず部屋を見てから考えろとすすめる。僕らとしても10時をまわったこの時間からほかの宿を探して歩くのはしんどい。とりあえず僕とスミレさんが上がって部屋を見てくることにした。
部屋は隣同士でひとつはオンドル部屋。もうひとつはベッドの部屋だった。ベッドのないオンドル部屋のほうは、広さもまあまあ。ただ4人で寝るにはかなり窮屈そうな感じだ。
「この部屋2つで4万ウォンだ。悪かないだろう。」
とおばちゃんがカギを振り回しながら言う。
「3万ウォン。」
スミレさんがきっぱりと言った。
「…………。わかったわよ。2部屋で3万ウォンね。それでいいだろ。泊まっていくのね。」
おばちゃんは最後にもう1度念を押すと事務所のほうに降りていった。
「やったね。これで3万ウォンだったら、かなりいいよね。あたし交渉上手だったでしょ。それで、部屋が2つと。ベッドひとつしかないから、みんながそっちのオンドルの部屋で寝て、こっちの部屋はあたしが1人で使えばいいわよね。ね。」
と言ってスミレさんはにこっと笑った。
この旅行中、もっとも美しい微笑みだった。
「よし、じゃあそろそろ出かけようか。」
済州島のガイドブックを眺めながら明日の観光ルートを考えていたトナリさんが、おもむろに立ち上がっていった。
「え?」
今日の会計収支が3万6100ウォン合わないと苦しんでいた石田さんと、デジカメであるのをいいことにやたらと撮りすぎた膨大な写真の整理に頭を痛めていた僕は、同時に声をあげてトナリさんを見つめた。
「せっかく旅行にきたんだから、このまま寝るなんてもったいないことは出来ないだろ。遊びにいくんだよ。遊びに。」
トナリさんは口元をくいっとひっぱりあげ、にやっと笑った。すでに時間は12時をまわっている。言葉のない僕らを尻目にトナリさんはするするっと窓際のほうまで行ったかと思うと、スミレさんの部屋に素早く内線電話をかけた。
「遊びに行くよ。」
「ふわ? どこにい?」
いつも眠たいスミレさんは、案の定すでに眠っていた。
「さっき眺めていたガイドブックによると、おしゃれな海岸道路があるらしい。」
というトナリさんの運転によってタプトンから10分ほど行くと、ネオンきらびやかなカフェが乱立する一帯に出た。海岸に面したカフェストリートのようで、昼間みればそれなりにおしゃれなのかもしれないが、この時間このネオンはあくまでも毒々しく、おしゃれとはほど遠いようだった。
「トナリさん、これがおしゃれな海岸道路?」
「うーん。」
「あっちの道じゃないの。海の向こう側の道。」
とスミレさんが指さした方向には、滑走路にある誘導灯のような光が等間隔にならんでいた。
「え、あれは道路じゃないよ。」
石田さんが驚いて言う。
「あれは道路の電灯が光っているんじゃなくて、イカ釣り漁船の光だよ。」
「え?」
正直、僕も道路だと思っていた。湾の向こう側に道路の明かりが見えているのだと単純に想像していた。あれがイカ釣り漁船の灯だったとは。
「うむ。それはおしゃれな海岸道路だ。」
トナリさんはそう言って、にやっと笑った。
おしゃれな海岸道路をしばらく走ると港のようなところに出た。僕らは港の突端に車を駐車し、外に出てみることにした。港にはたくさんの漁船が停泊しており、見ると今まさに漁から戻ったばかりというイカ釣り漁船も数隻あるようだった。
しばらく漁船の作業を見学していると、1隻の船からトロ箱が下ろされて来た。大量のイカが入った箱を、どこかに運んで行く。誘われるかのように後をつけていくと、倉庫のような建物の中にプールのような巨大ないけすが設置されていた。中で作業をしているおばちゃんたちは、箱で届いたイカを手づかみでポンポンいけすの中に投げ込んでゆく。そーっとのぞいて見ると、果してプールの中は泳ぎまわるイカでいっぱいだった。
「おばちゃんこのイカはなに?」
「これかい、ヤリイカだよ。」
ヤリイカ。韓国語ではハンチと呼ばれる。普段食べているオジンオ(スルメイカ)とはグレードが違う。済州島沖で道路のように光るイカ釣り漁船の一団はヤリイカを釣りに出ていたのだ。
「ヤリイカ……。うまそうだねえ。」
トナリさんがぼそっとつぶやく。
「おばちゃん。このヤリイカ売ってもらえませんか?」
声を聞くと同時にスミレさんが声をかけた。
「このイカをかい? ここでは売らないよ。」
「そこをなんとか。」
いつも眠たいスミレさんだが、交渉事になると目の色が変わる。
「5匹で2万ウォンなら特別に売るよ。」
「2万ウォン? 高い。もっと安くなりませんか?」
「新鮮なヤリイカだからそんなに安くはできないよ。見てごらん。白くなくて透明だろ。ついさっき獲ってきたイカなんだよ。」
「うーん……。わかりました。2万ウォンね。石田さん、2万ウォン。」
「あ、はいはい。」
会計係の石田さんが慌てて財布を取り出す。
「おばちゃん、今食べられるように刺身にしてもらえます? あ、ダメダメそっちは元気がないじゃない。そっちの、そっちの透明なほうにして。違う違う。そこのそれ。」
2万ウォンを受け取ったおばちゃんは手際よくヤリイカをさばいてくれた。木のまな板がすけて見えるほど透明なヤリイカはいかにもうまそうだった。刺身にしていく途中でおばちゃんが「ほい」と味見用に1切れ差し出してくれた。醤油もなにもつけない、ただ切っただけのヤリイカ。海水の味が少しするだけのヤリイカなのに、それは驚くほど甘味があっておいしかった。
おばちゃんがイカをさばいている間に、トナリさんと石田さんは醤油その他を探しにいった。今までやってきた、おしゃれな海岸道路にいくつかの刺身屋が営業をしているのを見ていたのだ。そこに行けば少しの調味料と割り箸くらいはなんとかなるだろうとの計算であった。
倉庫脇の街灯に照らされながら僕らは車座に座った。真ん中にはビニール袋に投げ込まれたヤリイカの刺身、そしてトナリさんと石田さんが獲得してきたチョジャン(酢を混ぜた唐辛子味噌)に醤油とワサビが並んだ。何の気なしにドライブに出てきて、深夜のヤリイカパーティ。このいきあたりばったりな楽しさが旅行の魅力だ。
「おおっ、このイカうまいっ。」
「ほんとだ。やっぱり新鮮なのはうまいねえ。」
「でしょ。2万ウォン出した価値があったでしょ。」
スミレさんが誇らしげに言った。
確かにこのときのヤリイカはうまかった。海岸で波の音を聞きながらとれたてのイカを食べる。なかなかに風流な出来事ではなかろうか。日本人ふたりは主に醤油とワサビを好み、韓国人ふたりはチョジャンのほうを多く消費しているようだった。それでもこの日の統一された意見は……。
「味見のときに海水の味だけで食べたイカがもっともうまい」であった。
まだまだ続く
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記事登録日:2002-11-29