小さなお姫様がここに宮殿を作ったことに由来する小公洞!
あんにょんはせよ!ソウルの旅の案内人、ソウルナビです。ソウルの真ん中、市庁!その市庁の周りにはプッチャンドン(北倉洞)、ムギョドン(武橋洞)、チョンドン(貞洞)など、ソウルでは有名なトンネ(町)がずらっと並んでいます。ちなみに町の名前についているの「洞(トン)」というのは行政単位で、日本では「〇〇町」のようなものでしょうか?
ところで、みなさんの名前と同じように、この市庁周辺のトンネにもそれぞれ由来があるんですよ。地図を見てみると、それぞれの洞(トン)がどこにあるのか分かりますよね?じゃ、今からナビと一緒に市庁周辺にある洞(トン)名の由来を調べてみましょう。
1.小公洞(ソゴンドン)
東側は南大門路2街、西側は太平路1街、南側は南大門路3街、北側は乙支路1街と接している小公洞(ソコンドン)の名前の由来は「小さいお姫様の町」。李氏朝鮮王朝の3代目の王、太宗(テジョン)の2番目の王女である慶貞公主(キョンジョンコンス・公主はお姫様のこと)が開国時に功労のあった家臣・平壌府院君(ピョンアンブウォングン・王妃の実父や正一品の功臣などに授けた爵号)趙浚(チョ・ジュン)の子孫、趙大臨(チョ・テリム)と結婚したあとに父の太宗が娘の居処をここに準備し、人々が「小さいお姫様の町」と呼び始めたことに由来しています。漢字では小公主洞、これを縮めて小公洞(ソゴンドン)と呼ぶようになりました。ちょっと華やかな香りがする名前ですよね。
2.武橋洞(ムギョドン)
武橋洞(ムギョドン)の町名は、市庁の後ろ側から現在の武橋洞(ムギョドン)に入っていくとあった「モギョ(毛橋)=モジョン(毛廛:特産の果物を売る店)の橋」に由来すると言われています。また李氏朝鮮時代、今のソウル市庁の場所にクンキサ(軍器寺:武器の製造管理を任されていた官庁)があり、「モギョ(毛橋)」付近にあった町、帽橋洞(モギョドン)と区別するために武橋洞(ムギョドン)という地名になりました。このモギョ(毛橋)とムギョ(武橋)の発音が似ているところから、人々は地名と同じように「モギョ(毛橋)」のことも「ムギョ(武橋)」と呼ぶようになったようです。
3.貞洞(チョンドン)
徳寿宮の北西に位置する貞洞(チョンドン)は新門路・太平路・西小門に囲まれている所です。李氏朝鮮時代、初代の太祖(テジョ)の継母である神徳(シントッ)王后康(カン)氏のお墓、貞陵(チョンヌン)が現在のソウル市城北区貞陵洞に移される前、ここにあったところから「貞」の字をとって貞洞(チョンドン)とよばれるようになりました。
4.北倉洞(プッチャンドン)
北倉洞(プッチャンドン)は、李氏朝鮮時代に宣恵庁(ソンヘチョン・米・布・銭の出納をつかさどっていた官庁)の北側の倉庫があったところから、呼ばれるようになった地名です。
5.茶洞(タドン)
李氏朝鮮時代、茶道を主管していた司甕院(サウンウォン・宮中に食料品を調達していた官庁)に属する茶房(タバン)があり、「茶房の町(タバンコル)」と呼ばれたことに由来します。この「タバンコル」を漢字になおすと茶洞となります。李氏朝鮮時代初期、太宗(テジョン)時代の記録に茶房洞という表記があるのを見ると、昔からあった町名だっていうことが分かります。
6.巡和洞(スンファドン)
義州路(ウィジュロ)側、梨花(イファ)女子高校と中央日報社のある巡和洞は、第二次大戦後、巡庁洞(スンチョンドン)の「巡」の字と和泉町(植民地時代の町の名前)の「和」の字を取って巡和洞(スンファドン)と名付けられました。
7.西小門洞(ソソムンドン)
西小門洞(ソソムンドン)の町名は、都城8門の1つである西小門があるところから呼ばれるようになった名前です。
8.太平路(テピョンノ)
ソウル市鍾路区世宗路交差点から南大門に続く1kmほどの通りで、太平路という名称は李氏朝鮮時代に中国から来た使臣の接待場所として使われた太平館(テピョングァン)に由来しています。
以上、市庁周辺の町名の由来について調べてみました。トンネの名前にはそれぞれ由来があるんですね。ちなみにソウルナビ(SEOULNAVI)もまた「ソウル(SEOUL)+ナビ(NAVI)」を合わせて作った名前だっていうのはみなさんご存知ですよね?以上小さな(?)お姫様が住んでいた小公洞(ソコンドン)からソウルナビでした。(^.^)/~~~
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記事登録日:2001-09-20