風納土城と夢村土城、歩いて古代の歴史に触れる旅!
こんにちは、ソウルナビです。ソウルが都になったのは高麗が滅び、朝鮮となった直後の1394年のこと。ではそれ以前は?実はソウルが朝鮮王朝の都となるはるか昔、古代にソウルが都だったことがあるのです。その場所は現在のソウルの中心部でなく、南東の方。当時作られた土城の跡が2つ、現在も残っています。その名も「風納土城(プンンナットソン)」と「夢村土城(モンチョントソン)」。以前からその優雅な名前も気になっていたナビ、このあたりが漢江沿いの散策路として紹介されているのを知り、気の向くまま歩いてみることに。その土城の横を、また上を歩く散策路は、まるでソウルとは思えないほど自然豊かで、アップダウンの激しいコースでした!それでは地下鉄8号線チョンホ(千戸)駅からモンチョントソン(夢村土城)駅までのぶらぶら歴史散歩、スタートです!
風納土城と夢村土城。
古代百済の2つの土城、風納土城(プンナットソン)と夢村土城(モントントソン)があるのはソウル市の南東部、現在の江東区。風納土城は古代百済初期、3世紀に築造された土のお城で、当時は周囲3.5kmの規模があったとか。しかし1925年の洪水で一部が流され、現在残っているのは2.2km。城自体は基礎部の幅が43m、高さ11mとまるで古墳のように巨大なもの。城の内側には発掘の結果、当時の百済王が住む街があったとされています。城は475年、高句麗の大軍に攻められ陥落。その当時、百済には川を挟んで北と南に城があったとあり、北がこの風納土城、南が夢村土城とされています。当時の都には2つ、城があったんですね。この北の城が陥落するときに城にいた王が南の城に向かって逃げ出し、殺されてしまったとか。
出発は地下鉄5・8号線千戸駅!
地下鉄5号線に乗り、やってきたのは地下鉄8号線との乗り換え駅、チョンホ(千戸)駅。東大門歴史文化公園駅からは約22分、ワンシムニ(往十里)駅からは約15分の距離。ちなみにこの駅、完全クロス交差で乗り換え通路が面白い!それはさておき、チョンホ駅についたら、まず城の名前を出口から探します。そして10番出口に「風納土城」の文字を発見!さっそく外に出てみます。千戸駅の十字路を見ながら、方向通りに歩いて行くと、左手に緑のこんもりした丘が。もう着いてしまいました。駅からわずか1分で風納土城に到着です。近すぎる~
土城の左側に散策路があり、土城を右に見ながら歩きます。でもこの土城はすぐ終了。その先には在来市場が広がっています。でも土城のすぐ脇の市場ってちょっと不思議な感じ。
土城です。
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土城を横から
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すぐ市場
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普通の市場です
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風納土城を歩く
土城の姿を見ないまま、オリンピック公園の方向を歩いて行きます。ソウルの町中にある、どこでもあるような通り。でも車も少なく、のんびりした感じの道。ところが右の建物の隙間から緑の影がちらちら。これはもしかしてと次の角を右に曲がってみると、ふたたび風納土城に再会!市場のあたりで途切れた土城は2ブロック先から再びその姿を表していたのでした。2ブロック分全然気が付かなかった!
戻るのはもったいないし、あらためて夢村土城の方角に向かい、風納土城に沿って散策路を歩きます。右手に土城に見ながらひたすら進む散策路。土の道にはミミズやらカメムシやらソウルでも見かけなくなった懐かしい虫たちがいっぱい。花はちょうど入れ替わり時期のようでした。近くに住む人も老人や親子などがぼつぼつとお散歩。
途中、生活の通りにぶつかると土城は途切れ、通りを越えるとまた土の塊が続いています。土城の向こうには団地や有名な病院らしい建物も見えます。毎日土城を見ながら生活するのってどんな感じなんだろうな・・・この土城の向こうが、かつての百済の首都だったはず。でも、いま土城が守っているのは普通の団地。まっすぐ進み、江東大路にぶつかるあたりで、散策路は道なりに北へ、城の高さも低くなり、風納土城をぐるっと形で散策路は終点!終点には運動器具が並んでいます。そのさきは普通の街でした。
風納土城から夢村土城へ
風納土城をあとし、次はオリンピッ公園にある夢村土城に向かいます。土城路を進み、団地のような教会を見ながら右へ、団地の脇の街を抜け、江東大路にぶつかったら左へ。その先にある「オリンピック大路南端」の大きな交差点を越えると、目の前にある大きな公園がオリンピック公園。小高い丘があり、その稜線を人が歩いているのが見えます。あれが夢村土城に違いない!しかし公園と道の間には池があり、なかなか近づくことができない・・・小高いところに登っても、その先に続いていない・・・ようやくオリンピックパークテルの裏手に橋を見つけ、公園側に渡ることに成功。この橋のあたりはタンデムの自転車で公園を散策している人も。
オリンピック公園内の夢村土城を1周!
目の前にそびえる坂。これがまさに「土城」の証拠のようです。その前にある案内板で確認。実はこの夢村土城、ソウルの一番南にある南漢山から連なる稜線の上に作られた山城なんだとか。いまはその間が街になってしまい、南なる山とつながっているとはまったくわからないほど。この城の周囲は2285m、高さは6-40m。北の風納土城とほぼ同じ規模のようです。なぜわざわざ2つも城を?歴史のロマンがひろがります。
意を決して坂を登っていきます。まるで峠のようで、さっそく山城であることを実感。登りきると十字路があります。ここから夢村土城1周2340m、その名も「土城オウレキル」!まずは北に向かいます。さらに上り坂が上り、たどり着いた尾根。さっき見えていた稜線はここでした。右の眼下には草原が見え、木が1本、草原の中に生えているのが見えます。まるで映画のような。でも、この木はなんだろう・・・土城復元時にも残された木かな。なにか宗教的な意味があるのかな。そして左の方を見れば、先ほどまで歩いた風納土城の方が見えます。2つの土城の距離を感じ、あいだを流れていた川を思い浮かべます。そういえば先ほどの池も川、その川の名残りかも。大きな木をぐるっと右に見ながら、稜線を降りていきます。途中はまだ発掘作業中。
降りきったところで公園を横断する道と交差。この近くに夢村土城の博物館がありますが、この日は歩くのを優先。ふたたび上を目指し、山道へ。左手に土城、右手に芝生を見ながら登りきると、公園全体ががよく見渡せます。下には昔の姿を復元したらしい木の柵も。そしてまるで山城を囲むように、大きな競技場がぼんぼんと見えます。
土城をたどる稜線は何度もアップダウン。降りるとすぐまた上り坂が見え、もうココでやめとこうと思いながら、上り坂の誘惑に勝てず・・・のんびり歩くカップルもいれば、ハイキング姿のおじさんやおばさん、犬を連れた人、運動を兼ねて歩いている人も、たしかにこのアップダウン、ちょうどいい運動になりそう。ナビも近くに住んでいたら通いたいかも。この散策路からはとてもソウルとは思えない光景が広がっています。
坂を降り、再びなだらかな道と交差。花畑も見えます。ここまでで端折ってもいいけれど、その先も上り坂が続いています。また新たな光景をみたい!ここまで来たのなら1周したい!再び登りきると、右手にお墓が見えました。だれのお墓かな?稜線を登りきると、意外と平坦な道や下り坂も。途中のベンチでは人が休んでいます。
左手には平和の門や、オリンピック公園を囲むように建つビル群、そして第2ロッテワールドらしい建設中の建物も。
草原は鳥たちの楽園。韓国で町中でよく見かけるカッチも、逃げずにゆっくりしています。中にはあまり見たことがないような鳥も。そしてなぜか野良うさぎ?も。もしかしたら野生化したのかな?
ゴールは地下鉄8号線夢村土城駅!
約55分かけて、元の出発地点に戻ってきました。無事1周完了!ここからはゆるやかな道を通り、外周の道路に向かいます。美術館の展示や運動する人たちを眺めながら、平和の門広場に到着。平和の門をくぐると、目の前に終着地点の地下鉄8号線モンチョントソン駅の入口です。全7.2km、2時間40分の散策も、今日はここで終わりです。
★今回の歩いたコース
南漢山城まで歩くオウレキルも!
駅の案内板によると、この夢村土城からさらに南漢山城まで歩くオウレキルがあるとか!さすがにこの日は無理でしたが、散策路と聞くとまた歩きたい欲望を刺激されます。また漢江には全部で10の散策コースが設定されているとか。川べり&散策好きのナビとしては、全部歩いてみたい!
皆さんも古代の歴史を感じながら、ソウルの自然を感じられるこの散策コース、いかがですか?体力に自信がないナビでも、のんびり自分のペースで歩いて、歴史と自然を感じながら楽しめる散歩となりました。旅行者の方にも、在住する方にも、日頃のソウルとはまた違った面が見えてくる歩く旅、是非オススメです。以上、ソウルナビでした。
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
記事登録日:2014-06-11